食卓の背景|黒い湯気が立つと、台所が東ジャワへ寄る
鍋のふたを開けた瞬間、牛肉の甘い湯気の奥から、黒ごまでも焦げでもない深い香りが上がります。ラウォンは、見た目の黒さで少し身構える料理ですが、口に入ると意外なほど丸い。牛すね肉のだし、香味野菜を炒めたブンブ、そしてクルウェックの土っぽいこくが重なった、東ジャワの黒い牛肉スープです。
ラウォン(rawon)は、インドネシアのジャワ島東部、特にスラバヤ周辺でよく食べられる料理として知られます。黒い色の中心はクルウェック(kluwek、keluak、kepayang とも呼ばれる Pangium edule の発酵・加工種子)です。現地では白ご飯、短いもやし、塩卵、サンバル、クルプックを添え、スープを米に少しずつかけながら食べます。

日本で作る時の山場は、牛肉ではなくクルウェックです。名前の似たスパイスで代わりに黒くする料理ではありません。黒ごま、ココア、カラメルで色だけを寄せても、ラウォンの奥行きには届きません。一方で、クルウェックは扱いに注意が必要な食材でもあります。この記事では、生の種を家庭で処理する方法には踏み込まず、加工済みの可食部、または市販のブンブ・ラウォンを使う前提で組み立てます。
同じインドネシア料理でも、レンダンはココナッツを煮詰める濃厚な肉料理、ソトアヤムは黄色い鶏スープです。ラウォンはその中間にいて、肉の満足感はあるのにスープとして食べられる軽さがあります。米料理ならナシウドゥック、屋台の香りならサテアヤムと並べると、インドネシアの食卓が一気に広がります。
クルウェックは Pangium edule の種子で、伝統的には水さらし、発酵、加熱などを経て食用にされます。生の種や処理状態が分からないものを家庭で割って使うのは避けてください。日本では、加工済み可食部、ペースト、市販のブンブ・ラウォンを使う前提にします。
この料理の背景|東ジャワで育った黒いスープ

ラウォンは「黒い牛肉スープ」と訳されますが、単に黒いだけの料理ではありません。Journal of Ethnic Foods に掲載されたインドネシア料理の民族食品研究でも、rawon は東ジャワの料理として扱われ、黒い色と香りを作る材料として kluwek が中心に置かれています。現地のレシピでは、クルウェック、シャロット、にんにく、キャンドルナッツ、コリアンダー、ターメリック、レモングラス、こぶみかんの葉、サラムリーフなどを合わせます。
クルウェックは、味を一言で説明しにくい食材です。ナッツのようでもあり、干ししいたけのようでもあり、黒豆を長く煮た時のような土っぽいこくもあります。強い辛味や酸味ではなく、スープの奥を暗くする材料です。だからこそ、火を入れて香りを開く工程が大切になります。ペーストをだしに直接溶かすだけだと、黒い色は出ても、生っぽい泥臭さが残りやすいです。
東ジャワの食べ方で面白いのは、黒いスープの横に軽いものを置くことです。短いもやしはシャキッとした逃げ道、塩卵は濃いスープを受ける脂と塩気、サンバルは皿ごとに辛味を足す調整役、クルプックは食感を作る役です。スープだけを完璧にするより、米と添え物まで含めて考える方が現地の食卓に近づきます。
| 食卓の要素 | 役割 | 日本での現実解 |
|---|---|---|
| 黒いスープ | クルウェックと牛肉のこく | 加工済みクルウェック、またはブンブ・ラウォン |
| 牛肉 | だしと満足感 | 牛すね、牛肩、カレー用角切り |
| もやし | 軽さと食感 | 緑豆もやしを短くゆでる |
| 塩卵 | 塩気と脂の丸み | ゆで卵に塩を振る代替でも可 |
| クルプック | 食感 | えびせん、揚げせんべいで代替可 |
インドネシア語では rawon と書きます。クルウェックは kluwek、keluak、kluwak、kepayang など表記が揺れます。本記事では日本語を「ラウォン」「クルウェック」に統一します。
買い出しの山場はクルウェックと香草

ラウォンで最初に探すのはクルウェックです。輸入食材店やインドネシア食材店で、加工済み可食部、ペースト、ブンブ・ラウォンとして売られることがあります。殻付きの見慣れない実を買って家庭で処理するより、最初から食用として加工されたものを選んでください。市販ブンブを使う場合は、すでに塩や砂糖が入っていることが多いので、塩は最後に調整します。
クルウェックが手に入ったら、次にそろえる価値があるのは香草です。ガランガルは生姜に似ていますが、香りがもっと硬く、スープの輪郭を引き締めます。こぶみかんの葉は少量でも東南アジアらしい香りが出ます。クルプックやサンバルは必須ではありませんが、黒いスープを食べ続ける時のリズムを作ります。
| 買うもの | 優先度 | 理由 |
|---|---|---|
| 加工済みクルウェック、ブンブ・ラウォン | 最優先 | 黒さとこくの中心。色だけの代替は難しい |
| ガランガル | 高 | 牛肉の重さを切る香り |
| こぶみかんの葉 | 中 | スープに明るい柑橘の香りを足す |
| サンバル | 中 | 辛さを食卓で分けられる |
| クルプック | 中 | 現地の食卓らしい軽さを作る |
クルウェックだけは、代替ではなく「入手できる日を待つ」価値があります。ガランガルやこぶみかんの葉は、アヤムベトゥトゥやトムヤムクンにも回せるので、東南アジア料理を続けるなら無駄になりにくい材料です。
日本の台所で本場に寄せる分岐表
ラウォンは材料の代替を間違えると、別の牛肉スープになりやすい料理です。全部を現地食材にする必要はありませんが、守るものと動かせるものを分けておくと失敗しにくくなります。
| 迷う材料 | 守りたい方向 | 日本での現実解 | 避けたい方向 |
|---|---|---|---|
| クルウェック | 加工済みの黒い可食部 | 市販ペースト、ブンブ・ラウォン | 生の種を家庭で処理する、黒ごまで代用 |
| 牛肉 | だしが出て煮込める部位 | 牛すね、牛肩、カレー用角切り | 薄切り肉だけで短時間煮る |
| 香草 | レモングラス、こぶみかん、サラム | レモングラス優先、サラムはローリエ1枚 | ローリエを増やして洋風に寄せる |
| 辛味 | 食卓で足す | サンバル別皿 | 鍋全体を激辛にする |
| 添え物 | もやし、卵、クルプック | もやし、ゆで卵、えびせん | スープだけで完結させる |
クルウェックがない日は、無理に黒いスープを作らず、同じインドネシアの牛肉料理としてレンダンへ切り替える方が満足度は高いです。ラウォンは黒さそのものが味の設計なので、代替で無理に進めるより、食材が揃った日に作る方が料理の意味が残ります。
牛肉はすね肉が理想ですが、初回はカレー用角切りでも問題ありません。大切なのは、煮込み時間を肉に合わせることです。カレー用肉が小さい場合でも、45分で止めず、箸で割れるまで待ちます。水分が減ったら湯を足し、味は最後に決めます。
材料と火入れの失敗原因|黒くならない、泥っぽい、肉が硬い

黒くならない時は、クルウェックの量が少ないか、ブンブを直接スープに溶いただけの状態です。まずはブンブを別鍋に取り、弱めの中火で3分炒め直します。油がにじんだらスープへ戻してください。色だけを濃くしたいからと黒ごまを大量に入れると、ラウォンではなくごま風味の牛スープになります。
泥っぽい香りが残る時は、クルウェックか香味野菜の火入れが浅い状態です。弱火で煮るだけでは香りが開きません。ブンブを炒める工程で、にんにくの生っぽい匂いが消え、油が端に浮くまで待ちます。強火で急ぐと焦げ臭さが出るため、火は弱めの中火を守ります。
肉が硬い時は、単純に煮込み不足です。牛すね肉は見た目より時間がかかります。水分を100ml足し、弱火で20分追加してください。強火で煮立てると表面だけ締まり、中心の筋が硬いまま残ります。竹串や箸が抵抗なく入るまで待つ方が、結果的に早くおいしくなります。
スープがしょっぱい時は、水だけで薄めず、湯150mlと砂糖小さじ1/2を加えて5分温めます。白ご飯と一緒に味を見ることも大切です。ラウォンは単体で飲むと少し濃く、米と合わせてちょうどよいくらいが現地の食べ方に近いです。
保存と温め直し

ラウォン本体は粗熱を取り、2時間以内に保存容器へ移します。冷蔵は3日、冷凍は3週間が目安です。もやし、卵、クルプック、サンバルは一緒に入れず、必ず別にします。もやしをスープに入れたまま保存すると水が出て、黒いスープが薄くなります。
温め直しは鍋が向きます。1人分につき水または湯を大さじ2加え、弱火で8分温めます。表面がふつふつし、牛肉の中心まで湯気が戻ったら火を止めます。電子レンジを使う場合は深い耐熱容器に入れ、ふんわりラップをして600Wで2分、混ぜてからさらに1分温めます。
冷凍する場合は、牛肉とスープだけにしてください。解凍は冷蔵庫で半日、または袋ごと流水で半解凍し、鍋で弱火にかけます。クルウェックの香りは冷凍で少し丸くなるので、温め直し後にサンバルを少し足すと輪郭が戻ります。
よくある質問
クルウェックなしで作れますか
味の中心が変わるため、ラウォンとしてはおすすめしません。黒ごま、ココア、カラメルで色だけを寄せても、クルウェック特有のこくは出ません。入手できない日は、牛肉を使うレンダンや、香味野菜のスープであるソトアヤムへ切り替える方が自然です。
市販ブンブ・ラウォンだけで作れますか
作れます。市販ブンブ70gを、この記事の黒いブンブの代わりに使います。ただし、商品によって塩分や油分が違うため、塩は最後に小さじ1/2ずつ調整してください。香りが弱い時は、レモングラス1本とこぶみかんの葉2枚を追加すると家庭の鍋でも立体感が出ます。
牛薄切り肉で短時間にできますか
できますが、ラウォンらしいスープにはなりにくいです。薄切り肉を使う場合は、スープだけ先に45分煮てから、最後の5分で肉を入れます。肉は柔らかく食べられますが、牛すね肉のだしとゼラチン感は出ません。
辛さを控えめにできますか
できます。鍋の中に唐辛子を入れず、サンバルを別皿にしてください。ラウォンの本体は辛さより香りとこくの料理です。辛味が苦手な人がいる食卓では、スープは穏やかに作り、食べる人だけサンバルを小さじ1/2から足すと失敗しません。
塩卵がない時はどうしますか
普通のゆで卵で作れます。ゆで卵を半分に切り、断面に塩をひとつまみ振ってから添えると、塩卵の役割に少し近づきます。卵をスープで煮込むと黄身が濁り、見た目も重くなるので、最後に添えるだけにします。
ラウォンと一緒に作りたい料理
黒い牛肉スープを主役にする日は、米と軽い野菜を添えると食卓がまとまります。香りご飯にするならナシウドゥックがよく合います。ラウォンの黒いスープに、ココナッツとレモングラスの米が重なり、東ジャワとジャカルタの食卓を一度に楽しめます。
辛味や副菜を足すなら、サンバル代用の作り方を用意しておくと便利です。サンバルは鍋に混ぜるより、皿の横に置く方が家族で調整しやすくなります。野菜料理を足したい日はガドガド、肉料理をもう一品置きたい日はサテアヤムが自然です。
インドネシア料理の中で比べるなら、ラウォンは黒いスープ、レンダンは乾くまで煮詰める濃厚煮込み、ソトアヤムは黄色い鶏スープです。同じ「スープ」として見比べるだけでも、島ごとの食材の使い方が見えてきます。
参考文献
- Murtini, E.S. and Murdianti, A. "Rawon: an Indonesian traditional ethnic food from East Java." Journal of Ethnic Foods, 2024. https://journalofethnicfoods.biomedcentral.com/articles/10.1186/s42779-024-00239-1 2026年参照
- Indonesia Travel. "Rawon: Black Beef Soup from East Java." https://www.indonesia.travel/ 2026年参照
- Recipes Indonesia. "Rawon: Black Beef Soup." https://recipesindonesia.com/indonesian-soup-recipes/black-beef-soup/ 2026年参照
- Heriyanto, N.M. and Subiandono, E. "Ecological status of pangi Pangium edule Reinw." J-Stage / Forestry and Forest Products Research Institute. https://www.jstage.jst.go.jp/article/jfr/5/1/5_1_35/_article 2026年参照












